メニューを飛ばして本文へ

行政政策学類

はじめに

「大学で学ぶ」、ということ

行政政策学類長 髙橋 準

2024年度入学のみなさん、福島大学の新たな構成員としてみなさんを迎え入れることを、心から喜ばしく思います。
 日本全体、そして世界を見渡すと、新型コロナウィルス感染拡大、ウクライナ情勢、生活費高騰など、リスクや不安が高まる中で勉学にとりくみ、大学を受験してこられたわけで、ご自身も、また周囲の方もたいへんな苦労をされたのではないかとお察しいたします。
 そしてこれからはいよいよ、大学で学ぶことになります。この『学修案内』は、福島大学での学びの基礎を支える「道案内」です。入学を機会に、一度ていねいに目を通していただけたらと思います。ただ、入学したばかりの時には、読んでもその意味や重要性がわからないことも多くあるでしょう。大学生活を送る中で、必要に応じて参照してもらえたらと思います。
 ということまで書けば、ほぼここでのわたしの仕事は終わっているようにも思うのですが、せっかくですので、もう少しだけ、「大学で学ぶ」ことについて(そして『学修案内』についても)書いてみたいと思います。
 ひょっとしたらこの文章を読む前に、すでに、「『学習』ではなく、『学修』となっているのはなぜだろう。」という疑問を抱かれた方もいるかもしれません。たいへんいい目の付け所です。「習う」と「修める」のはどう違うのか、という話でもあります。
 「ならう」は「習う」と書いたり、あるいは「倣う」と書いたりしますが、「倣う」には「まねをする」という意味が強くあります。「習う」にも、「人から教えてもらう」だけではなく、「くりかえして身につける」という意味合いがあり、「学習」にもその意味は反映されています。
 もちろん、「まねをする」ことも「くりかえして身につける」ことも、大学では必要です。たとえば外国語の発音などは、ネイティブの発音を聞いたり、そのまねをしたり、自分でくりかえし発音してみたりして身につける必要があります。
 でもそれだけが大学の学びではありません。数年前から教育の世界では、「アクティブ・ラーニング」ということばが盛んに使われるようになりました。そこで想定されているのは、一方的に授業や講義を聴くのではなく、生徒・学生自身が関与して授業を作り上げることが想定されています。ディベートやピア・レスポンスなどのようないくつかの形式があります。
 ただ、こうした「アクティブ・ラーニング」は、それだけでは成立しません。たとえば何かについて意見をいうにしても、何も知らないことについては意見のもちようがありません。つまり「自分の意見」を持つためには、さまざまな情報や知識、考え方――「他人の意見」も含まれます――を知っている必要があるのです。
 ですが、「アクティブ・ラーニング」の考え方は、大学での学び全体についての認識の転換につながるような側面を兼ね備えているように思います。
 それはつまり、一見黙って話を聴いているだけのような講義であっても、そこに学生の主体的な関わりがある、というとらえ直しをすることです。単に与えられたものを消化するだけでなく、与えられたものをどう自らのものとしていくことができるか、与えられたものを再構成して「自分の意見」を作りあげられるか、地域の問題解決の糸口をそのなかに見出せるか、というような、能動的な「聴講」につなげていけるように、多様な講義・授業のどれをいつ受講するかを含めて考えよう、ということです。
 「学修」という言葉を、自分から「修める」という、上で述べたような内容を含んだ概念として、ここではとらえ直していきたいと思います。『学修案内』になっているのも、そうした能動的な側面を意識したものだと考えてください。
 最初の話に戻ると、入学したときには単に『学修案内』に書かれていることを読むだけに終わるかもしれませんが(ある意味それは「学習」といえます)、それはその後必要になったときに、自ら進んで『学修案内』を開いて必要な情報を探し、自分のアクションにつなげるためのものとして内容を改めて理解すること(つまりそれが「学修」)の基礎になるわけです。今は「習う」で終わるかもしれませんが、将来の「修める」のためのものだということです。

さあ、どうでしょう。『学修案内』に目を通す心の準備はできたでしょうか。